児童車内置き去り事故を考える

毎年、児童送迎車内置き去りが発生するたびTVニュースなどで騒がれています。
「大阪で2歳の女の子が保育所に預けたと思い込んだ父親の車の中で死亡した」件で、小倉少子化担当大臣が「保育所の責任は重い」と発言したのには驚きました。組織の方を叩けば、政府の評価が上がるとでも思ってるの?保育所に責任は無いでしょう!
確かに保育所が、保護者に確認すれば児童は死なずに済んだかもしれません。けど、それは責任じゃない。気配りの範疇です。

そもそも、児童の安全に関する責任の所在ってどこにあるの?
児童が自宅にいれば保護者が安全責任を負い、保育所や学校に登園・登校した後は、対象組織が責任を負うことになるでしょう。
では、親の車で通園中の2歳児の保護責任は誰にあるのか?これは、明らかに保護者だけです。
スクールバスによる登園の場合は、スクールバスに乗車した時点で保育所が責任者になりますが、自家用車で預けられる場合は、預け終わるまでは保護者責任。今回は預けられていませんからね。

仕事や家庭の出来事に追われ、気持ちに余裕がなく、毎日子供を同じ保育所に預けて、自分も仕事に追われる親。毎日同じことを繰り返していると、済ませたことと済ませていないことを正しく認識できていないことは、誰でも経験済みでしょう。なので、子供を預けたつもりで、実際には社内に置き忘れていたことも仕方ないことだと思います。何かいつもと違うと漠然として不安が残るが、それが何かがわからない。誰でも身に覚えがあることだと思います。誰かに責任を押し付けたい気持ちはわかりますが、事故と向かい合わなきゃ、一生後悔する。

では保育所側は? 2歳児なら突然の発熱や発病→病院→自宅療養 というパターンは多数の児童を預かる保育所としてはよくあるパターンなんじゃないかと想像します。その時、保護者は100% 保育所に連絡しますか?保育所って人的リソースに余裕があるのでしょうか?預け忘れた保護者同様、日々、ルーチンワークに追われる運営状況なら、立場は保護者と同じ。保護者の送迎なら児童がいないことを不思議に思わなくても仕方ない話。余裕があったなら保護者に確認してもよかったっというレベルの話でしょう。該当保育所の日常やルールがわからないので想像するだけですけどね。

それを、保育所の責任が重い と発言する少子化担当大臣って、どういう神経?保育所に責任は無いでしょう。せめて「チェック体制が二重化されていれば防げたかもしれない不幸な事故」ってところでしょう。
ここで事故処理を間違えると、影響は全国の保育所に及ぶことになり、ますます保育所関係者の負担が増すことになる。

そもそも日本人の場合、国内が安全なことから、子供が一人で登下校するケースがあると思いますが、児童が登校中に事故が起きた時、その責任に関してちゃんと考えている?。もし事故が起きたら?事故が起きてから責任をなすりつける相手を探しているんではないか?
児童だけでの登校、下校って、その間の安全責任はどこにあると考えますか?
もし、自家用車やスクールバスが使用される場合は、その運営者が責任を持たざるを得ないでしょう。では、子供だけで移動する場合は?集団登校中は、まあ、集団なので事故が起きた場合の目撃者は多く、事故を起こした人の特定は容易でしょう。登校中に誘拐が発生する確率は低い。しかし下校中は?登校時と違って下校は基本バラバラじゃないでしょうか。こういうところで、事故や誘拐が起きた場合、保護者はどう感じるのでしょう?

人間は常に間違いを犯すし、学んでも学んでもミスはゼロにはならない。特に、自分が体験したことが無い可能性に関しては人は盲目、考えもしない。他人の経験を自分の生活に反映させることができない。
責任の所在を明確に定義することは出来ても、人が関わる限り不慮の事故は無くならない。

児童通学時の責任を明確にするには、100% スクールバスか保護者による送迎にするしかありません。ただし、大きな社会的コストとリソースが必要となり、それで児童の命が100%守られるわけでもない。事故が起きた時、責める相手が明確になるだけ。

責任論ではなく、どうすれば車内放置された児童の命を守るか?と考えるならば、社会システムを新しくするしかありません。ここら辺が、コンピュータのシステム管理やプログラミングと同じ。

例えば、

  • 対象年齢の子供が乗っている車には、走行中、停車中にかかわらず、必ず何か目印となる大きなステッカーを貼り付けることを義務とする。ステッカーは子供に対して発行される。
  • 子供が車内にいるにもかかわらず、ステッカーが無い場合は即違反となる。
  • ステッカーが貼りつけられた状態で、子供を車内に残す場合は、窓を全開にする義務がある。
  • ステッカーが貼られたまま、窓が閉じられた状態で駐車中の車を発見者した場合、発見者には通報義務が発生する。
  • スクールバスには、停車中に車内の気温が連続10分以上35℃を越えた場合に、大音量のブザーが鳴る装置を設置する義務を課す。装置は、車体バッテリーからの電源で自動で電源Onとなり、電源をオフにするためにはバス最後部で手動スイッチをOffにするしか手段しかない仕様にする。
  • スクールバスは、座席の背もたれをクッション性がない透明なシートまたはネットにする。(後ろの方まで見えるかな?)
  • 指定した期間スクールバスは、児童が乗車する車は駐車中、窓または天井を閉められない構造であることにする。トゥクトゥクのようなオープン構造。雨の日や寒い日はどうするの?横転や衝突した場合の安全性は?というマイナス面もありますが、熱中症で亡くなることは避けられそう。
    社内置き去り対策と走行時の安全性のどちらを優先させるか?ってことになります。

というような発想。

上記は一例で、デメリットや逆に安全性を犠牲にする部分もありますが、何を優先させたいのか?でやりかたが異なってきます。

  • 子供の安全性のための社会コストを低く抑えて、今のまま、関係者の努力だけで実現する。
  • 子供は、仮に放置されても、短時間で死亡することがない設備の車にしか乗せられない法律をつくり、社会全体で見守る。
  • 放置事故を(無くすことは無理だけど)減らせそうな装置を導入して、対象車両に取り付けることを義務にする。

結局のところ飲酒運転撲滅のためのアクションと何ら変わらない。人が、これくらいでいいだろうと、自分に妥協し責任を放棄し続ける限り置き忘れ事故は無くならない。飲酒運転なら、すべての車両はキー+吐息の両方をクリアーしてで発進できるようになる というような仕組みにしない限り無くならないだろうし、置き忘れ事故も、車重計測機付きの駐車スペースや車体を標準にして、運転前後の車重の差が、駐車後にメールでスマートフォンに届いて、走行距離・燃費・重量差からアラートが発生するような連動装置を開発・販売、普及させないと無くならないでしょう。

そんなにコストを掛けられないよ。今のままでどおり、誰かが悪いってことで一件落着させようっていうのも一つの道。目の前で命が亡くならなきゃ、人は動こうとしない。

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